八百長議論に”もの言い”あり

角界の八百長や無気力相撲が話題だ。

大物政治家や著名な役者、企業家、学者までが、神妙な面持ちで苦言を呈している。また、CNNやBBCなど海外メディアでも

取り上げられているらしい。確かに、大相撲を純粋なプロフェッショナルによるスポーツと考えた場合、八百長はゆゆしき問題であると

思うし、真剣にやっている力士達にとっては無礼千万な話である。

しかし、この八百長問題に、これほどまでに時間をとってトップ扱いで報道する事が、失われた30年に突き進まんとしているこの日本で、

今、本当に必要なことなのだろうか?野次馬報道の過熱によって外国人にまで「日本人って八百長をする人達なんだ」と、わざわざPR

しているようなものだ。苦言を呈している、評論家や多くの国民も、胸に手を当ててわが身を振り返れば、自分は八百長を一切やった

ことはないと言えるだろうか?

多くの企業で行われている天下りや顧問制度も一種の八百長に変わりはない。大手企業でも頻繁に聞かれる談合、次回の発注を約束

された際に出す合見積、懇意の取引先にだけ情報を漏らすということも日常茶飯事で行われているのが今日の日本全体の実情である。

大相撲とは、そういうもの(たまには八百長もあるかもしれない)と思って見れば、目くじらを立てて巡業中止に追い込む程のものでは

ない。

ましてや無気力相撲・人情相撲に関しては、だれしも、どうしてもやる気の起きない時に、無気力に仕事をした経験の一度や二度はある

だろう。”負けてやる”人情話しは数多い。相撲取りにだけ、常時100%の気力・ガチンコを要求するのは、あまりにも酷ではないだろうか?

むしろ、かつてのやんちゃ坊主やガキ大将がますます減ってしまってつまらない生真面目な金太郎飴の日本人だけになってしまう方が

もっと怖い。そして、あまり意味のない犯人探しに、日本中が時間を費しているこの姿が、日本の将来の姿にならないことを望みたい。

カテゴリ:コラム 更新:2011年2月23日