『日本を革新する』 第4回 ~「失われた20年」を振り返る-④

問題の根は日本人の特質にもあるのでは? 

日本衰退化の要因を作ったのは政治、財界、企業、学会、コンサルタントの全てとも言えるが、そもそも日本人特有のキャラクターの中にも問題の根がありそうだ。日本人の特質として、横並び主義の「皆で渡ろう気質」がある。人の先頭に立ち先の見えないリスクを背負うよりは、人がやったことを真似て少しづつ改善・工夫を施し進める、という行動パターンが一般的だ。

各国の国民性をあらわすジョークで、人がリスクを取らねばならない時に日本人なら、「みんなやっているよ!」と言えば、急いでアクションを取る、と言われる。因みに、アメリカ人には「ヒーローになれるよ!」、イギリス人になら「あなたは紳士だ」、ドイツ人なら「そうするのが決まりだ」、イタリア人なら 「女性にもてるよ」、フランス人なら「それをするな」と逆説的に言えばいいらしい。自ら意思表示をせず、他人に同調して動くという日本人の特質は今や世界の認識するところとなっている。

そこかしこにある過剰な案内やボイスメッセージ、工事現場での多数のガードマン等は、規則だからと型通りにやっているのが現実で、本当にその情報やサポートを必要としている人々には、時には不親切だったりする。先日も、道路上にロープを張って上では窓清掃をしていたが、ガードマンは目の不自由な方が通ってもそちらには目もやらず、その人はロープに足を取られこけそうになった。日本全体が与えられたリスク管理に慣らされてしまって、各個人がリスクを予測し判断する訓練ができていないというのが現状である。これからのグローバル時代を、どこまで強く生き抜いていけるだろうかと、少々心配だ。

この他人追従型の「皆で渡ろう気質」に近い日本人の特質が、「沈黙病」だ。経団連に加盟するトップ企業が我先に派遣切り宣言、凍結アナウンスを行った時、揃ってマスメディアは批判をしなかった。スポンサーに対する遠慮という沈黙病の一種だろう。日本では組織のトップに直接たてつく人は極めて少ない。議員も党の幹事長や大臣には直接モノを言える雰囲気は無く、国会で新人議員が耳障りな野次を飛ばしたり、サラリーマン諸氏が飲み屋でボスの悪口を言ってぼやくのも沈黙病の一種の対症法に思えて仕方がない。

「検討します」「反省します」とその場しのぎの言い訳で逃げ出す「先送り主義」も日本衰退化を招いた病根の一つだ。最近は、外国人も日本人の「検討します」という快い返事は「=何もしない」という意味であることを悟り出した。なぜこうもアクションを取らない国民になってしまったのか。

バブル以降の日本は変化を検討しても何も実践しない、むしろ守り一辺倒に陥った。つまるところ、プロセスの十分な議論とそれを実践するアクションが取られなかったために、日本は20年間、何もチェンジをせずに魅力のない国になってしまったのだ。

 

結局は、志と知の問題

今最も長期ビジョンの議論を含めた大変革が求められているのに、それを導く真のリーダーシップが不在であり、時代を捉えお客様目線に基づいて必要な変革を実践する術を見失っているのが今の日本の実情である。

その解を見出し、WillとWisdomを取り戻すためには、

第1に、ビジョンと戦略を明確にする。

第2に、その実現に向けて必要な人・プロセス・ナレッジを結集する。

第3に、一貫性を持った統合的な視点から諸々の課題にチャレンジし、

最後に、これらの価値を見直して常に「あるべき姿」を追求して行く

ことが必要となろう。

カテゴリ:コラム 更新:2010年10月26日

『日本を革新する』 第3回 ~「失われた20年」を振り返る-③

学界にも問題がある 

社会の劣化に対して、時には釘を刺し正しい方向に導くのが学界や教育現場の本来の役割である。ところが、ここも長いこと「象牙の塔」体質に染まり、極めて閉鎖的社会を形成している。マスコミに少しでも売れ出すと学界ではすぐに足を引っ張られてしまうので、外部に対しての言動を慎んでいる学者も多い。派閥や師弟関係の強固さは政界にも劣らない。近年、日本人ノーベル賞受賞者が海外流出しているケースもある。この傾向は、歯止めがかかるどころかますます増えていくのではないかと心配である。

有能な研究者や学者には、十分な環境とその成果に見合った報酬を与えるべきだ。ゆとり教育は学者や先生に時間的ゆとりは与えたが、将来の国家並びにその子々孫々に対しては、余り大きな貢献をしているとは言えないのが現実だ。識者の量と質が低下していけば、国の衰退化を防ぐことは至難の業である。

 

コンサルタントの罪

学者や識者と並んで、日本衰退化の罪を犯した職業人としてコンサルタントを挙げねばなるまい。

勿論、功績もそれなりにはある。コンサルタントがいたことで、日本の業務改革やIT化も少しは進んだ。コンサルティングブームに乗って、日本企業を活性化したいとの高い志を持って、難しいプロの世界に飛び込んだ者が多くいたのも事実だ。しかし、次第にコンサルティングファーム自体も、クライアント優先から自社利益優先へと傾いていった。実際、スタッフのアサインにしてもそのジョブに最適な人材を投入するよりも、コンサルティング会社の都合を優先し、空いているスタッフを使うことがよくある。例えば、システム開発は多くの工数を要するので、業務経験は少なくても賢い若手スタッフを大量に投入して、マンアワーを稼ぐのである。

これは、コンサルティング会社の評価制度の一部にも起因する。基本として、コンサルティング会社で早く昇進するには、クライアントの評価が第一ではなく、マンアワーを如何に上積みできたかという点と、スタッフのチャージャビリティ、すなわち、どれだけ多くのスタッフをクライアントに投入できたかが重要となるからである。

ここに日本のコンサルティング会社が犯した重大な問題がある。特に外資系グローバルファームの場合、海外本部では新たなコンセプトや方法論、手法が頻繁に開発され、実際にその導入が実施された米国企業は確実に変化を遂げていったが、日本国内にはそのごく一部しか輸入されなかった。言葉の問題もあり、米国本社で開発されたコンセプトや方法論のうち日本に導入されたものは半分にも満たないのではないだろうか。

日本支社は、一番儲けになるERP( Enterprise Resource Planning )パッケージの導入や、内部統制制度、個人情報保護法、ISO等対応のサービスに傾注し、個々の企業が抱えるより重要な経営課題(人や風土のチェンジ)には目をそむけてしまったのだ。

ジョブにアサインされたコンサルタントは、自身の出世が第一のため、クライアントの真の経営問題に気付いても、受注するか分からない難易度の高いプロジェクトの提言を行うより、敢えて与えられたジョブだけを無事に終了させることに専念した。

言い換えると、日本のコンサルティング業界は、手慣れたサービスツールの提供に終始し、クライアント企業にとって最重要でタフなテーマを回避し、言われたことだけを無難にこなす「にわかプロ」の世界になってしまったのだ。

カテゴリ:コラム 更新:2010年10月19日

『日本を革新する』 第2回 ~「失われた20年」を振り返る-②

政治・経済の責任 

日本の政治はこの失われた20年の間、本来の役割を全く果たして来なかった。この政治不在という罪は非常に大きい。しかし、これを許してしまった経済界、メディア、学界、一般国民も同罪かもしれない。政治の混迷、選挙活動最優先、国民目線不在、といった症状は、政党だけの問題ではない。支持を得るための甘言に簡単に乗ってしまう一般国民も、真の政治家を発掘し育成するという責任を果たしてこなかったことは真摯に反省すべきだ。

世論ばかりを気にしてメディアの支持率調査に一喜一憂しながら、一貫性のない政治を繰り返すというポピュリズムへの迎合は、国民目線を意識し政治をしているという意味ではいい点もありそうだが、経済が100年に一度の危機にある時に政治のリーダーシップがないのでは話にならない。

まず国家ビジョンを明確に示し、具体的な変革へのアクションを実行できるように法律や環境の整備を行っていくことこそが、本来の政治家の仕事だ。

経済に目を転じると、日本が世界第2位の経済規模に成長するまでに果たしてきた財界の役割・貢献度は測り知れない。一時世界を席巻したMade in Japanの強さは日本人に自信と誇りを与え、先人が築いて来たJapanブランドの信頼や価値は今でも我々日本人の大きな財産となっている。

ところが大手企業も創設時は間違いなくベンチャー企業であったはずなのに、いつのまにかそのベンチャー精神を喪失してしまったようだ。リーマンショックの直後、最大の利益を出していたはずの大手企業がリストラを優先し新たな投資やイノベーションへのチャレンジを全て凍結宣言したのだから、日本経済全般に及ぼす負の影響は甚大である。垂直系列で成り立つ日本企業のフロー経済において、末端消費が止まれば大手の製品の購買自体もストップする。すなわち、財界を代表する大手自らがデフレの根源を作ってしまった訳だ。

このデフレを乗り切るために、殆どの企業が更なるリストラを強化せざるを得なくなった。長期目線でグローバルな視野を持っていた為に成功し、称賛された日本は、今や当時の米国と同じく短期目線で数字だけを追いかける軽薄な経済観念の財界人・企業人が増えてしまった。

一時期は、世界中で元気な日本企業のブランド名が多く目に入った。それらの企業も、年月を経て「大企業病」にかかりコレステロールが高くなって小回りのきかない体質になってしまったのだろうか。米国発の能力主義、コンプライアンスに押され、国際競争力は急速に衰えていった。従来からの縦割り組織のマイナス部分や、自己防衛、安定・安心指向といったムードが企業や社会全般に広がり、日本の国力・経済力を示す様々な指標がことごとく右下がりの坂を転げ落ちる状況を作ってしまった。

 

メディアの責任

政界・財界に真のリーダーが見出せない今、大衆の意識を導くという意味で、メディアの果たす本来の役割は極めて大きいのだが、残念ながらそこにも真のジャーナリズムを感じることはできない。

TV局は視聴率だけに気を配り、視聴者は他の選択肢も無く辟易しながら、野次馬報道と低俗番組を視聴しているのが実態ではないだろうか。閉塞感漂う日本にはストレス発散の場も必要であるが、お笑いの質も昔より劣化していると思われる。4年に一度のオリンピックやサッカーワールドカップであれほど国民が熱くなるのだから、100年に一度の危機であれば、1ヵ月くらいの特番を組んで日本の将来に向けて真剣な議論を仕掛けてみてはどうだろうか。

海外に長く住んでいる人が久々に日本のTV番組を見て、『ニュースでさえ、世界の状況を正確に報道していない。目に余るのはスキャンダラスな芸能人を執拗に追いかけ回したり、弱い者いじめ的な批判コメントばかりで、人を称賛するとか尊敬するとか昔の日本人がもっていた徳や情緒がなくなってしまっている』と嘆いていた。また、このままでは日本は国際的にも信用を失くすと、将来の日本を非常に心配していた。

政治家も国会での真摯な質問や答弁より、テレビ番組での発言に重きを置くなどタレント化している。Will とWisdomがなくWord(言葉)とPerformance(芸)だけの政治家が増えたのは、メディアの変化と連動している。メディアの今の姿勢をこのまま放置していたら、日本人は本当にダメになってしまうかもしれない。

カテゴリ:コラム 更新:2010年10月12日
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