ゆでカエル or とびカエル?

カエルを鍋に入れて、低温から少しづつゆっくりと温度を上げていくと、カエルは身動きせずにじーっとしたまま、やがてゆで上がってしまうそうだ。カエルを、冷たい水から、急に熱いお湯の中に放り込むと、ビックリして飛び跳ねてしまうそうである。世の中の変化に気付かず何もアクションを取らないで、「井の中の蛙」になってしまった人や企業に対して警鐘を鳴らす時の喩えとして、よく聴かれる話である。Boiled Flog Phenomenaは、そのまま欧米でも通用するが、日本では、カエル=変える、という響きもあって、CHANGE(変革)の話に関連してよく使われる。

この度、鳩山首相が、国連総会で「温室効果ガス25%削減」を発表して、財界からは無謀な数字だとして反対を唱えるのろしが挙がった。10年間で25%というのだから、年率で見れば決して高い目標とはいえないと思えるのだが...。嘗て、新幹線が誕生した時、従来の東京~大阪間を半分の時間で結ぶ構想(目標)を掲げ、日本は見事に実現した。まもなく、リニア新幹線の構想が持ち上がり、技術的には直ぐに目処をつけたにも拘らず、実現化では中国に抜かれてしまった。ビジョンや戦略が曖昧だったからか、具体的な戦略実行のプロセスを築かなかったからか、いずれにせよ、CHANGEする時は、まず、ビジョンや目的ありきで進めた方が効率的であるし、実現の可能性も高くなる。

多くの人にとって、今の自分流のやり方が一番心地よいし余り大きなチェンジはしたくない、と思うのが世の常かもしれない。とりわけ、日本人にはその安定志向、現状維持の傾向が強く、欧米型の「変革(Change)」に対し、どちらかというと「改善(Improvement)」を好みたがる。カイゼンは、10%程度の漸進的向上を目指すのに対し、改革は、20~30%の斬新な向上は当たり前で、中には40~50%といった飛躍的(quantum-leap)向上を狙った大胆な取組もある。変革は、ゼロ発想でお客様ニーズを起点にまず「あるべき姿」を描いて抜本的に現状プロセスを見直すのに対し、改善は、現状を肯定した上で少しでも現状より良くするためにはどのような工夫があるかを考える、という点でレベルもプロセスも異なる。

そもそも、日本は、変革への抵抗が小さく変化に対しては極めて寛容な国民なのではないだろうか。それは、台風や地震によって、家屋が潰れるような被害を被っては、また新しく造り替える『木と紙』の土壌にも由来しているような気がする。欧州のように台風や地震が滅多に起こらない地域では、永久に持続する『石造り』がベースとなり、長期に渡って普遍的なものを求めたがる傾向があると思う。日本は、四季折々の風情から、独特の感性や美意識が育まれて来たのではないか。そのような変化に馴染む風土があったからこそ、明治維新後、先進国に瞬く間に追いつき、戦後も早い復興を遂げた。日本の国力を復活させるには、変化を恐れず、果敢にチェンジにチャレンジすることが鍵ではないだろうか。 Tasitonmemar .

カテゴリ:コラム 更新:2009年10月22日

CHANGE for CHANCE

CHANGE for CHANCE

オバマさんは『CHANGE』と『Yes, we can.』を標榜して米国の大統領になった。鳩山さんは、『政権交代』を叫んで我が国の総理大臣になった。人々は苦しい時ほど、過去の継続ではなく新しい変化に何かを期待したがるものである。思い起こせば、CHANGEはクリントンさんが大統領に就任した時にもスローガンとなり、大統領就任演説の中で彼も『CHANGE』を何回も繰り返した記憶がある。当時、日本では細川政権が同様にCHANGEをキャッチフレーズにして登場し、国民は大きな変革を期待したが、細川退陣後、すっかり昔へ逆戻りしてしまい、CHANGEの掛け声は薄れ、その後の日本は、あの長い『失われた10年』を迎えてしまった。

米国では、日本の失われた10年の期間、企業も大きなCHANGEに取組んだ。80年代一人勝ちだった日本の漸進的改善をベースにしたカイゼンに対し、飛躍的な業務変革を狙ったリエンジニアリング(BPR)を進めたのである。業務プロセスだけでなくITインフラや人の意識・行動までがCHANGEのテーマになり、チェンジエージェント(推進者)、チェンジマネジメントという組織改革の言葉が企業内では当たり前の光景として染み渡って行った。そのような中から、CHANCEを見出した企業が続々と創出され、現代の世界的なリーディングカンパニーとして君臨している。Microsoft、Apple、Cisco、Googleなど、列挙しただけでもきりがない。

一方の日本では、グローバルベースで活躍するソニーやホンダに続くようなベンチャーはすっかり影を潜めてしまった。大手企業は、ベンチャーが取引を申し入れても与信の壁で防衛したり、業界団体も結束して新人ベンチャーの台頭を拒んでいるようにさえ見える。政府やマスコミの発表とは裏腹に、ベンチャーにとってCHANCEへの扉は固く閉ざされ、大手同士の馴れ合いや談合が未だに頻繁に見られるのが現実である。リーマンショック前までの新記録と云われた平成景気も、団塊世代の大量引退で人件費負担が大幅に軽減したことと、中国やインド等の特需による恩恵が主たる要因で、経営改革となるCHANGEはほとんど実施されなかったに等しい。

大不況からなかなか抜け出せないとなると、小泉・竹中改革を罵倒し、グローバル化を中心とするアメリカ型経営をも全面的に否定する大合唱と共に、復古的な日本型経営への回帰が叫ばれ始めている。アメリカ型経営の破綻は、一部金融工学猛者達の暴走によるところが大きく、欧米亜で進みつつあるCHANGEのうねりに日本だけが背中を向けているようでは、これから先も、グローバル市場で敗者になって行くだろう。アメリカ型か日本型かという議論ではなく、世界の潮流をきちんと見据えて、常にCHANGEしながら、若者やベンチャーにCHANCEを与えることが大切ではないだろうか。 Naacreatunonro .

カテゴリ:コラム 更新:2009年10月19日